020.君といた時間

『神聖王』あるいは『神聖姫』は基本的に、伴侶を得るということがないらしい。それは異性との交わりをなくすことで守護天使の神聖性を保つという宗教めいた意味合いを持つそうだが、同時に「子孫を残す」ということに政治的な意味がない、という事情もあるというのが夫の見解であった。しかしそこに妻たる彼女の見解を加えるとすれば、『王』や『姫』自身も気付いたときにはそれに無頓着になってしまうから――といったところだろうか。
 強大な力を得て、人でありながら人を超越してしまった彼らは、「人間」であった頃の必死さを、時を経るごとに忘れていってしまうのだろう。実際に話を聞いてみれば、二代前の守護天使がそのような発言をしていたという。
 その点でいえば彼女の夫は幸運であったかもしれない。だが、その幸運は到底甘んじて享受できるものではない。だが受け取らなくても迫ってくる。
 そうして受容と拒否を繰り返すうちに、彼女はふと思うのだ。
 ならば彼の力を魂に注がれた私もまた、守護天使や『天使』と同じ運命を辿るのだろうか、と。

「俺は不器用だからさ。上手くいかねーかもしれないけどよ……。絶対、おまえを幸せにするから」
 彼女が実家でこれまでの決着をつけ、ピエトロに渡ってきた日、彼はそう言ってはにかんだ。レジスタンス時代からは想像できないような威厳を放っていた男は、そのとき彼女の知る彼に戻った。
 差し出された手をとったとき、二人の生活は始まった。
 最初はその境遇から、疎んじられることの方が多かった。「あの女が『神聖王』様を誑かした」などという、ばかばかしい噂が立つことも珍しくなかった。だが、日々を送っていくうちにそういった目は表に出なくなっていく。彼女自身が信頼を得たのももちろんあったのだが、
「俺の方があいつを選んだんだよ、変なことを言う奴は無視だ無視」
 などと彼が胸を張っているものだから、陰口を叩いていた人たちはそれこそばかばかしくなってその口を噤んだに違いない。
 他国の守護天使と出会う機会も増えて、時が時であったために世代交代にも多く立ち合った。
 子供も生まれた。彼の性格を見れば分かりきったことだが、親ばかになって日々城の者に呆れられていた。父が守護天使であることは当時の子供たちには秘密にするということになったので、色々とごまかすのに苦労した。
 思い出せば思い出すほど振りまわされた記憶しか湧いてこないが、それでも幸せだった。
 だが、幸せはいつだって有限だ。
 ある年に、『堕天使』がせめてきた。暗黒魔法と呼ばれる良くない術に手を染めた『天使』である。レジスタンス時代、幾度も刃を交えた連中だ。
 元といえど『天使』が相手である。彼女の夫が出ざるを得ないのは明白だった。厳しい戦いの予兆。だが彼は笑っていた。
「サクッとぶっ飛ばして帰ってくるから、ちゃんと待っとけよ。浮気とかすんなよ?」
 そう言う夫に「しないよ!」と叫んで回し蹴りを叩きこんでから、彼女は笑顔で見送った。彼も、陰りを見せず戦場へ赴いた。

 そして帰ってきたのだ――骸となって。

 むしろ遺体が戻ってきたのは喜ぶべきことだったのかもしれない。『堕天使』に塵一つ残さず葬られた者ややむを得ず置き去りにされてきた死した戦士がいたことを、彼女は知っていた。
 一日、遺体の前にすがりついて、声を殺して泣いた。
『てめーみたいなガキを助けにきたってわけじゃない。でも、来たいってんなら来ればいい』
『おまえ、このまま俺のところに入れよ』
 無邪気でありながら猛者の光をたたえた少年の笑顔が、
『世界のために死ねなんて、きれいごとを言うつもりはねえ。だが、てめえの物を守りたければ、武器をとって戦うんだ!』
 レジスタンスのリーダーの、心震わす雄叫びが、
『あーもう、なんでこんなに書類が多いんだか。俺って結局象徴で国王じゃないのに。おまえ代わりにやってくれねえ? ……あ、うん、すいません』
 面倒くさがりな夫の明るさを失わない態度が、鮮やかによみがえる。
 子供たちに見せてはならないと思っていた。だが、まだ小さな長男がのぞき見ていることに気づける余裕はなかった。
 遺体といられる時間は長くなかった。すぐに彼の体は聖地となっている墓所に送られていく。
 そして、彼女の魂は孤独になった。

 彼といられた時間は、瞬きする程短いように感じられた。何もかもがこれからだったはずなのだ。そうして二つの喪失を経験した女の目が、白い石の塔に注がれる。
「まったく……妻と母の面目丸つぶれだわ」
 夫が眠る聖地の洞窟を見上げ、彼女は苦笑する。微かな嘲りの気配は本人にしか分からない。
 馬車の先頭にいる御者の声が、前から響いた。
「お客さん、もうすぐ国境越えますよー。商売、頑張ってくださいねー」
 彼女は陽気な言葉に微笑んだ。
「ありがとう」
 とりあえず、ここで半年か一年か――そのくらい商売してから、久し振りに家に戻ろう。娘の説教を受けてから、一緒にご飯を食べよう。
 そんなことを考えながら、一人の女は国を渡っていった。数ヶ月ばかり先に待ちうける再会のことなど知らずに。

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