獣が塵芥(ちりあくた)となって消えてからしばらく。ソラはようやく立ち上がるために地面に手をついた。だがその瞬間、ぐらりと視界が揺れる。同時に、耐えがたい嘔吐感も襲ってきた。

「うっ」

 うめいて顔をしかめたソラは、そのまま再び地面に倒れ込んだ。どういうわけか、身体が思うように動かない。そんな彼のもとに慌ててかけより、支えて立ちあがらせたのは、やはりというか相棒のリネであった。小さい身体でよくやるものだ、と、どこか朦朧とする意識の中、少年は極めてどうでもいいことに感心する。

「大丈夫?」

 彼の顔を、心配そうな幼い少女の顔がのぞきこんだ。そんな彼女に、ソラは苦笑をもらす。

「ああ――ごめん」

 そのまま小さく頭を下げると、相棒はなぜか怒った顔になり、「謝るの、禁止!」などと訳の分からないことを言って歩きだした。

「ソラさんっ!」

 情けなく思いつつも相棒の小さな体に身をゆだねていたところで、悲鳴が聞こえてきた。ソラがおもむろに顔を上げると、少し遠くに涙目のアンナがいた。その背後にハルトの姿も確認できる。こちらは真っ蒼になり小刻みに震えていた。

 無理もないか。思い、ぎこちない笑みを浮かべながら、少年は何食わぬ態度で手を上げた。

「よー。とりあえず、なんとかなったみたいだな」

「はい。でも、ソラさんが……!」

 ほぼ怒鳴るような声でアンナが言う。確実に咎めるような響きがあった。これにはリネも、青い目を瞬いていた。ソラの方はというと、自分の顔がひきつっているのを他人事のように認識しつつ、

「あ――……ごめん」

 結局、謝らなければいけなかった。

 何かが間違ってるよ。そんな相棒の呟きは、彼には届いていない。

 

 

 街中の安宿に、少年の悲鳴が響き渡る。

「い……いでででっ! 痛い!」

 声の主は、宿の一室でベッドに横たえられているソラであった。信じられないことに、若干涙目になっている。

「もう少しで終わるんだから、我慢してよねー」

 まるで姉のような言葉で彼を軽くあしらっているのは、治療をするリネである。二人のやりとりを傍らで見ているアンナとハルトがソラに対して憐憫の眼差しを向けているのは、おそらくこの少女の表情がひどく楽しげであるからだろう。

 幻獣の男に首を絞め上げられたことによる状態異常以外の大きな傷はないと思われていたソラだったのだが、その際、地面に強く叩きつけられて、その上に獣の全力で引きずられていたことが判明したのである。つまりは、打撲と擦り傷だ。しかも出血していた。

 そのおかげで、彼は今、無理矢理治療されている――というわけである。

「そういえば、ソラ」

 手当の仕上げをしながら、少女がふと思い出したように口を開いた。ソラが「うん?」と聞き返すと、彼女は言う。

「最後にあのひとを撃った弾、あれただの銃弾じゃないよね。なんだったの?」

「ああ、あれか」

 手当が済んでひと息ついた少年は、腹筋を使って起き上がりながら、あっけらかんと答えた。

「対幻獣用の特殊加工がしてある銃弾だとよ。万が一小競り合いになったら困るから、前の街の武器専門店でハンターを名乗って買い込んでおいたんだ」

「へーえ。幻獣が対幻獣用の武器を買うなんて、変な話だね」

 からかうような笑みを向けながら、リネはそうコメントする。

 確かにそうだ、とソラは苦笑した。そういえばこれを買うときも、一度正体の偽称がばれそうになって肝を冷やしたものだ。

 ハルトが会話に入りこんできたのは、ソラがそんなことを思い出していたときだった。

「あの……その話なんだけど。ソラさんって、本当に幻獣種族なの?」

 唐突といえなくもない問いかけに、二人の旅人はつい顔を見合わせた。

 

 とりあえず、リネの方が救急箱のふたを閉めながら答える。

「そうだよ、と言いたいところだけど、ちょっと違うんだよね。半分ずつってところかな?」

 半分? と言いながら宿屋のきょうだいはそろって首をひねる。説明に困って目を泳がせている相棒に、当事者のソラが助け舟を出した。

「おまえらが四分の一、クォーターなら、俺は二分の一、つまりハーフってことだよ」

「……じゃあ、ご両親のうちどちらかが幻獣でもう一方が人間ってことですか?」

 彼の言葉でようやく話を理解したらしいアンナが落ち着きはらって問うと、ソラはうなずくことも首を振ることもせず、困った顔で頭をかきながら言う。自分の例は、ある意味どちらにも当てはまってはいないからだった。

「親父が人間で、おふくろが幻獣種族だそうだ。ただし、親父にもちょっと幻獣の血が流れていたそうだから、俺はそっちの血の方が濃いんだが」

「え!? それじゃあ」

 アンナが素っ頓狂な声を上げると、ソラは目を細めた。

 彼には少女の言わんとしていることが分かっていた。それは問い。

――父親も、幻獣と人間の子供だというのか、という、本人さえ答えの分からぬ問いだ。

「実は、その辺は俺にもよくわからないんだ。本人は先祖の血が濃く出たとか言ってたけど、本当かどうかは怪しいもんだな」

 答えが分からぬのに知ったふうな顔をして答えても意味はないので、正直にそう言った。するとアンナは少し難しい顔をした。話の内容が難しかったのか、複雑な気分になったのか。いずれにせよ良い気持ちでないことは明らかである。

 ただ、そんな姉の内心などおかまいなしにハルトがものすごい勢いで言ってきた。

「じゃ、じゃあ! 僕らが幻獣の血をひいてることと、あの人? が暴れたこととは何か関係があるの?」

「大ありだろうね」

 リネが珍しく真面目な顔で答える。今回のソラは、それに追従するかたちとなった。

「カイルっていう名前を呼んだということは、あいつも元々幻獣種族だったんだろう。俺の親父の名だからな。もしかしたら血統を重んじるタイプで、人間でありながら幻獣の気配を放つ俺やハルトに怒りを覚えたのかもしれない」

 言いながらもソラは、自分の心が重くなっていくのを確かに感じていた。最後に自らの両手をにぎり、こう締めくくる。

「ま、それだけが原因……というわけでもなさそうだが」

 彼の脳裏には、あの幻獣の最期の姿がよぎった。肉体から噴き出す黒いもの。あれが『同胞』の血などではないことは、ほかならぬソラが誰よりもよく知っている。だから、今の彼にとってあれは、得体の知れない現象としかいいようがないものだ。

 だからだろうか――ひどく、嫌な予感がした。

 

 

 このあと彼ら四人は、アンナとハルトきょうだいの母に事のあらましを説明しにいった。二人はひどく嫌がっていたが、獣襲来騒ぎの原因の一端がハルトにあるとすれば、やはり説明しないわけにはいかない。

 彼女は案の定ものすごく驚いたし、そうかと思えば自分の娘と息子をすごい剣幕でしかりとばした。だが、それでも最後には「無事でよかったよ」と小さな二人を抱きしめていた。

 一方、ソラとリネは怒られることはなく、むしろひたすら頭を下げられたためひどく恐縮してしまった。どうやらこの女主人は「彼らが巻き込んだ」とかいう類の考え方にいたることはなかったらしく、二人としては嬉しいような困ったような、微妙な心持ちであった。

 その後、二人の旅人はこの宿屋に一泊した。相変わらずの調子でハルトにからまれて大変だった、というのは、今後のソラの記憶に鮮やかな色を焼き付けそうである。この日の内に二人は町で必要な物の買い出しを済ませてしまった。

 そうして、翌日のまだ陽が昇りきらない頃――

「もう町を出るのかい? てっきり、あと何日か滞在していくもんだと思ってたよ」

 少年少女の顔を見た女主人は、そう言って目を丸くした。二人はそれぞれ、苦笑にも似た笑みをこぼす。

「まあ、必要なものはもう十分に揃いましたしね」

 ソラがそう言うと女主人は少し残念そうな顔をしたが、すぐに「そうかい」と言って宿を出るための手続きを終えると、その面を上げた。

「あの子たちのこと、ありがとうね」

 突然のことでソラもリネも目をまたたいた。だがすぐに、リネが元気よく返事をする。

「うんっ! 二人にもよろしくお願いします!」

 それから彼らは女主人に背を向けるかたちで歩きだしたが、古い戸の前まで来ると、ソラがふと足を止め、振り返らないままにこう言った。

「俺たちは流れ者ですから。また、気が向いたらここにも来るかもしれません」

 言い終えると彼らは、主人の返事も聞かず町へ出た。

 薄暗い宿屋の外に広がっていた町は、淡い朝の光に照らされ始めていた。

 

 

『気配が消えた』

 唐突に放たれた声を聞き、彼女は顔を上げる。ただ、顔を上げたところでそこに誰かがいるというわけではない。あるのは深い深い暗闇と、茫洋とそれを照らす、ろうそくに灯った小さな炎だけだ。

「それは……本当なの。レオフの近郊に仕掛けた奴に、間違いないのね?」

 先程『彼女』は気配が消えたと言った。それはすなわち、作戦の失敗を意味する。疲れた顔の彼女に返されたのは、

『そう。あの幻獣種族で合っている』

 いっそ清々しいほどの肯定だった。更に、こんな言が付け加わる。

『件の天族と"あの女"の仕業らしい。まったく、西の"種"も東の"神"も厄介な存在を生んでくれたものだ』

「……そうね」

 あやうく沈黙しかけた彼女は、どうにか声を絞り出した。それからクスッと笑う。妖艶、という言葉がぴったりの表情だった。

「大丈夫よ。まだまだ駒は用意してある」

 彼女は先程とは打って変わって、心底楽しそうにそう告げた。

 

 

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第一話 獣の町 ―4―