第二話 騎士たちの宴5

 咄嗟に身がまえたソラはしかし、襲ってきた巨大な衝撃を受け止めきれずに吹き飛んだ。少年の躰は木の幹にぶつかって倒れる。背中に激痛が走り、刹那息が止まった。低くうめいた彼はそこで――それ以上の攻撃が来ないことに、疑問を抱く。
 目を開ける。辺りを見てみると、彼と同じような状況になってうずくまっている人々が散見できた。ざっと見回した彼は正面に視線を戻し、息をのんだ。
 少女が立っている。
 皆をかばうようにして立つ少女は水色の髪を風になびかせ、蒼白い光を纏う。表情は消えうせ、いつもはきらきらと輝いている瞳も、今は凪いだ海を思わせた。
「リネ……?」
 恐る恐る名前を呼ぶと、見慣れた微笑が返ってきた。だが、それはすぐに元の冷やかな仮面をかぶってしまう。彼女の目は常に正面、つまりまじない師の方を向いていた。
 まじない師の女はというと、蒼い顔でリネを睨みつけている。
「おまえ……まさか」
「全方位攻撃なら勝てると思った?」
 少女はどこか優雅な手つきで、顔にかかる髪を払った。
「調子に乗るのも大概になさい。もう二度とこの地域に踏み入れられないようにしてあげるから、少し頭を冷やすことね」
 少女の口調も表情も、普段の面影を残していない。ソラは唖然として、悠然と立つリネと歯噛みするまじない師を見比べていた。
 やがて、まじない師が小さな舌打ちを漏らす。憎しみを宿した瞳を、対面の少女に向けていた。
「いいわ。魔獣ともどもこの地を去りましょう。ここへの興味はもう尽きたし、これ以上あなたを怒らせる道理もない」
 女が右手を挙げる。同時にリネは氷の刃を生み出した。小さな手から離れた刃は、女の腹をえぐる。――直後、その姿はかき消えた。
 鈴のような澄んだ音。氷のかけらと血しぶきが舞う。
 すると、森の中に沈黙が下りた。遠くから響いていた戦いの音もやんでいる。今はただ、砂嵐のような音だけが頭上を通り過ぎていた。
「終わった……のか?」
 誰からともなくこぼれた呟き。それを以って、ソラもようやく戦いの終わりを実感したのである。
 一度、対まじない師部隊の全員が集まった。状況確認をするためである。
 皆の報告によると、負傷者は出たもののすべて軽傷で、幸い死者は出ていないという。これはかなり頑張った方だろう。
 そんな結果のおかげか、ソラとリネはかなりほめちぎられた。その最中、ソラはふと隣を見たが、そこには無邪気な笑みを浮かべる相棒がいるだけである。
「よーお、ご苦労さん」
 馴染みある声を聞き、ソラは腰を浮かせた。案の定、ジェイドが歩いてくるところである。いつも飄々としている彼は今、平時よりやつれた顔をしていて、全身に汗をかいていた。
 その様子を見てソラは肩を竦める。
「そっちも大変な戦いだったみたいだな」
「ああ。どうにも勢いがすごくてな。珍しくさばききれなかった」
 丸めた紙を放り投げるような軽さで言ってから、彼は二人の前に腰を下ろした。たくましい体躯のあちこちに裂傷が走っており、鎧も傷だらけだ。よく見ると、火傷のようにはれ上がっている個所もある。
 ジェイドは笑いながら頭をかいた。
「まあでも……幸い、幻獣種族と思しき奴らはいないようだったよ」
「そうか。そりゃあ良かった」
 ソラは吐息を漏らす。
 二回に渡る魔獣の襲撃は、あのまじない師の仕業と見ていいだろう。ならばなんのために襲撃を仕掛けたのか。
 おそらく、今すぐには答の出ない問いだ。
 しかし、幻獣をけしかけてこなかった理由はある程度の推測が立てられる。
「私たちみたいなのが来るとは思ってなかったんだろうね。あのまじない師」
 リネが意地悪く笑いながら言った。ソラがそれにうなずくと、ジェイドは嫌そうな顔をする。
「そりゃ……あれか? 俺たちは舐められてたってことか?」
「うん」
「悪く言えばそうだろうな」
 二人が立て続けに肯定すると、ジェイドはむっつりと押し黙った。そこへ若い騎士が駆けてきて、彼に状況を報告し始める。
 確かに、まじない師は彼らを舐めてかかっていたのだろう。魔獣やまじない師に対する意識のない愚かな人間ども、と。しかしそんな彼らの前に、予想外の人物が現れた。ソラもその一人ではあろうが、彼以上に凄まじい力を発揮したのが――
 少年は再び隣を見る。水色の髪が揺れる様は、夢の中の光景と重なった。
 あんなに巨大な魔の力を振るうリネを見たのは、初めてである。あんな態度をとるのも。彼女は何かしら、底知れぬものを秘めているのかもしれない。
「よし、騎士全員を招集だ! 基地に帰るぞ!」
 だが、彼女の方から打ち明ける気が無いのなら、気にしたところでどうしようもない。相棒であることには変わりないのだから、それでいい。
 ソラはジェイドの晴れ晴れとした号令を聞きながら、そう思った。

 ソラとリネの二人が兵舎に呼ばれたのは、その日の夕方のことだった。ソラが一度扉を叩くと、内側から「入っていいぞ」と軽い声がけが。彼は扉を開けて、相棒とともに中へと滑り込んだ。
 そこは決して広くない部屋である。中央に長机と長椅子、壁際にはなんのためにあるのか分からない棚が、堂々と座していた。すべてが木で統一された部屋は、光源が乏しいせいか薄暗い。
「よう、来たな」
 長椅子に行儀悪く腰かけているジェイドは、そう言って笑う。彼の前には書類の山があり、その向こうで一人の女がため息をついていた。その顔に覚えのあるソラたちは、顔を見合わせると揃って目を丸くする。
「……ニナ?」
「ああ、ソラか。久し振りだな。リネも」
 ソラが恐る恐る名前を呼ぶと、彼女はけろりと答えて微笑した。リネの生返事が隣から響く。
 ニナはこの騎士団では数少ない、女騎士の一人だ。現在の立場はジェイドの副官というものだが、その目は常に上司への尊敬ではなく、友を見る呆れに彩られている。そして上司の方もそれを笑って許していた。
「立ち話もなんだから、座れよ」
 彼は笑顔で呼びかけてくる。ソラはなんだか分からないまま、ジェイドの向かいに座った。リネがそそくさと隣に寄りそう。それを確認したジェイドが、指を一本突き立てた。
「まずは、お疲れさん。おまえらのおかげでだいぶ被害が軽減できたよ」
 率直なお礼の言葉。ソラはどう反応してよいものかと迷った。だが、横ではなぜかリネが不貞腐れている。そのことでまじない師のことを思い出したソラは、眉をひそめた。
「でも、あのまじない師を逃がしちまったよ」
「ああ、そりゃいいんだ」
 返った言葉はずいぶんと軽かった。旅人二人は揃って目を丸くする。それを見て吹きだしたジェイドが、書類の山から一枚を取り出してひらひらと揺らした。それは今回の件の報告書――その一部だ。
「一応、こちらで少し捜索は行う。深追いしないつもりだがな。もともと、魔獣どもによる被害が無くなればよかったんだから、それが叶えばまじない師にこだわる理由もない」
 おそらく報告書にはまじない師の言葉も記録されているのだろう。ソラとリネがあいまいな相槌を打つと、ジェイドは笑って書類を机に投げた。
「で、ここからが本題なんだが――」
 男はあくまでも笑顔のままで、切り出す。
「こちらとしては、功労者であるおまえらに礼がしたい。が、うちはあいにくと金欠なんで、仕事ぶんの金を払うのは難しいんだ。そこで、情報を提供しようと思う」
「情報?」
「ああ。――ニナ!」
 ジェイドが鋭く呼びかけると、後ろの方に控えていたニナが顎を動かしてから、前に出た。
「どうやら、この近くに幻獣種族の里があるらしい」
「…………は?」
 あまりにも唐突な暴露だった。唐突過ぎて、ソラの頭が真っ白になる。彼は何も考えられないまま、ただ反射的に、リネと視線を交差させた。それからまったく動じないニナを見ると、ようやく頭が回転しだした。少年は、騎士の男をにらむ。
「どういうことだ、それ」
「おいこらニナ。前後の説明をまるきり省略すんなよ」
 一方、問いかけられたジェイドの方も部下に不満の視線を向ける。だが彼女は、涼しい顔で「とりあえず結論を出したまでだ」と言うだけだった。ジェイドは呆れのこもったため息をこぼすと、机を二回、指先で打つ。
「魔獣が発生する少し前にな。一部の騎士が巡回に行ったんだよ。そうしたら、人が誰も近づかないような森の中に幻獣種族が生活していると思しき痕跡を発見したらしい」
 ちなみに、いやいやその森に入った新人騎士たちは、幻獣の存在を知らしめる足跡や食べかす、彼らの力を用いたけんかの跡などを見つけたという。そして、真っ蒼になって震えあがり、一目散に逃げてきたらしい。
「それで幻獣の里があるってことに……」
「ああ。ちなみに、近隣の町でもだいぶ噂になってる。少し大きな町に行けば、この話を知っている情報屋の一人くらい捕まえられるだろ」
 そう言って、ジェイドは書類の山を一瞥した。ソラは首を傾ける。
「騎士団の方では、情報収集しないのか?」
「それがなあ」
 困り顔の男の口から吐き出された声は、乾いていた。
「騎士たちは、全員その調査を嫌がっているらしいんだよ。そのうち俺やニナのところに打診がくるかもしれねえ」
 意外な答えを聞き、ソラは身を固くした。一方リネは、食いつかんばかりに身を乗り出す。
「ここの人たちも? ソラのおかげで幻獣には慣れてると思ったけど」
「こいつは人形(ひとがた)だし、害意がまったくないから平気なだけだ」
 少年の顔をぴしりと指さし、騎士はあっけらかんと告げた。指をさされたソラは、相手の太いそれが本当に眉間に突き刺さったように思えて、そこを押さえる。そのまま、いつの間にかできてしまったしわをもみほぐしながら、彼は睨んだ。
「えーっとつまり。みんな、本当に本当の獣と対峙することになるかもしれないとなると、怖くて逃げ腰になる……ってことか?」
「そういうことだな。まったく臆病な奴らだ」
 呆れて肯定したのはニナであった。鋭い瞳がぞっとするような光を放っている。本当は今すぐにでも自分が行きたい、と思っているのかもしれない。
 ともあれ、ソラは納得してうなずいた。ようやくジェイドの意図を完全に理解する。お礼、というのは半分事実で――半分は嘘なのだ。隣を見ると、リネも苦笑いしている。
「まったく、いい性格してやがる」
「どうするの、ソラ?」
 ついぼやくと、リネがおどけて訊いてきた。不安げな様子が無いということは、ソラの決定に従うという意思表示なのかもしれない。彼は頭をかいたあと、渋るように口を動かす。
「まあ、実際興味はあるし……行ってみるかな、その森」
 最終的にははっきりとそう言う。すると、ニナは目を瞬いてジェイドは両方の拳を握った。
「よし! なんか分かったら俺たちにも教えてくれよ」
「やっぱりそうなるのか」
 目を輝かせる男に対し、少年は無遠慮な視線を投げかける。傍らで女騎士が「本当に締まらないな、あいつは」と呟いていたが、二人の耳には入っていなかった。
 このあとソラたちは、改めて情報を整理した。痕跡というのが発見されたのはこの部隊の管轄ぎりぎりにある深い森だ。近隣に町はない。ただ、その管轄領から逸れれば大きな都市がある。
「一度、その都市できちんとした情報屋を雇った方がいいだろう」
「そうだな。森に行くのは初めてだから、案内役が必要だ」
 ソラはしきりにうなずいた。
 評判のよい情報屋は、知らないところへ行くときに案内役を買って出てくれることが多い。料金については少々高くつくのだが、誰も近づかないような場所へ行こうとして迷うよりはましだろう。
「というか、そんなところに付き合ってくれる人、いるかなあ?」
「入口までなら問題ないだろう」
 首をかしげるリネに、ニナが淡々と返す。その様子を見たソラは、天板を思い切り叩いた。
「よし、善は急げだ。明日にはここを出るぞ、リネ」
「りょーかいです、ソラ!」
「珍しくせっかちだな」
 ジェイドが目を見開いて聞いてくる。ソラはにやりと笑ってやった。
「やっぱり気になるんだよ。母さんの同胞のこと」
 すると、騎士はますます目をみはる。――少年が彼の種族を避けていたことを、彼は知っている。だからこそ、断言に驚いたのだろう。ソラは思わず相好を崩した。それを見た男は、「そうか」と呟いて腕を組む。
「じゃ、せっかくだから今日は晩餐に付き合えよ。それくらいの時間はあるだろ」
 いきなりの誘いを受けた二人は顔を見合わせる。ややあって、立て続けに答えた。
「そりゃいいな」
「うん。お金がかからなくてありがたいね」
 室内が一瞬だけ静まりかえる。その後、「貧乏性……」という呟きが、水面に投じられた一隻のように部屋を覆った。
 二人の若い旅人はそれを聞き、声を立てて笑ったのである。


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