第三話 唯一の友1

「化け物め!」
 忌々しい、という感情が高ぶった声から伝わってくる。少年は黙ってその声を受け止めた。表情はまったく動かない。
 激しい罵倒を聞いて、少年を囲む人々は押し黙った。張りつめた静寂が束の間、その空間を覆う。だが彼らはすぐにわっと沸いた。
「そうだ! おまえは化け物だ!」
「どうしてお前のような奴がこの町にいる!?」
「早く出ていって!」
 堰を切ったようにあふれ出す罵りの言葉。怒声と金切り声はかわるがわる町の中に響く。それは大人たちがはらむ怒気と相まってか凄まじい力を持っていて、輪を外から見ていた子供たちがびくっと身を竦めるほどであった。
 だが、数々の呪い言葉を浴びせられている本人は微動だにしない。そんなものなど初めからないかのようにぼんやり呆けて立っている。しかしそのうち、彼の眉が少しだけ動いた。
 人だかりの中から、幽鬼のような歩みで一人の男が踏み出してくる。彼は瞳をぎらつかせて歯を食いしばると、あるものを力強く握りしめた。――包丁だ。
「死ね」
 低い言葉を吐いた男は、獣のような咆哮を上げながら刃物を振りかざして、少年へと突進してくる。
 白刃は日の光を受けて、一瞬だけまばゆく輝いた。

「ソラ、朝だよー」
 のん気な声が耳に流れ込み、意識が急に覚醒する。ソラは、はっと目を見開いた。見慣れた少女の顔がすぐ近くにある。彼女はにっこり笑って「起きた」と言った。
 目に飛び込んでくる黄金色の光に目を細めたソラは、目もとに手をかざしながら相手を見た。
「おはよう、リネ」
 彼が寝ぼけた声で言うと、リネは「おはよー」と軽く返して、ひょいひょいとその眼前から姿を消す。彼は少女の後ろ姿を見送ると、苦笑しながら立ち上がって、思いっきり伸びをした。岩穴で一晩過ごしたにしては快適である。続けて穴から外を見て白砂の道が伸びていることを確認すると、払暁の光に身をゆだねた。 「昔の夢を見たのなんて、いつぶりだろうな……」  ソラは陽の温かみを感じながら独白する。そしてふいに、目を閉じた。  あの夢の続きを、ソラは正確に覚えていない。今ここにいるのだからあの場で本当に死んだわけではない、というのは確実だったが、ならばどうやって生きながらえたのか。肝心な部分が、ソラの記憶から抜け落ちていた。
 物思いにふけりかけた彼はしかし、すぐに首を振る。
「ま、そんなこと気にしてもしょうがないだろ」
 あっけらかんと呟いた青年は、岩穴の外にある水場へ向かって走り出した。
 ジェイド率いる騎士団のもとを去って五日。二人はようやく、きちんとした情報屋が雇えそうな町を見つけた。そして、遅々とした歩みでそこへ向かっている最中である。
「とりあえず町に入って宿をとって、それから情報屋探しだな」
 隣で朝食の準備をしているリネに声をかけてから、ソラはすくった水で顔を濡らす。冷え切った水のおかげで、ようやく目がさえてきた。
「ソラ、ごはん作ろう!」
「ああ! おまえは野菜と肉切るところでやめておけよ!」
 嬉しそうなリネに慌てて釘を刺したソラは、使い古したタオルで顔を拭く。そして、全力で彼女のもとへ走った。あの少女に料理をさせたら調理器具と食材が台無しになることは確実なのだ。――案の定、リネは鍋を爆発させかけていた。ソラは大慌てで彼女を制し、それからどうにかして朝食を作って食べる。心なし焦げ臭い気がした。そして食事を終えると、二人はひたすら歩き通す。穏やかな時間だった。
 目的の町には昼前に到着した。外では聞くことのなかった人々のざわめきに、二人の旅人は顔をほころばせる。目に飛び込んできた市庁舎の前で立ち止まり、ソラは大きく伸びをした。
「とりあえずは本日の宿を探すとするかー」
「そこでご飯を食べてから、情報屋さん探しだね!」
 ソラのゆるい呟きを、リネが意気込んで引きとった。
 しかし、ここで困ったことが起きる。安くて食堂付きの宿を探したのだが、なかなか条件に合う場所が見つからないのだ。仕方なく、食堂が無くて安い宿を選ぶことにした。
 ソラは、一時間かけてようやく見つけた宿の青い扉とバラを模した看板を見て、ため息をつく。
「おなかすいたー」
 リネが腹を押さえながら言う。ソラはうなずいた。
「仕方がないから、どこか適当なレストランで食べよう。……っと、その前に宿泊手続きしなきゃな」
 石段を軽やかに上る少年。その背に、少女の声が投げかけられた。
「じゃあさー。その間、お散歩してていい?」
「おう。でも、あんまり遠くに行くなよ」
「はあい」
 ソラが振り返らずに答えると、リネは嬉しそうに返事をしながら、駆けていった。足音が高く響き、やがてそれは遠ざかっていく。そして一分と経たぬうちに、喧騒の中に紛れてしまった。
 ソラは微かに口元をほころばせると、青い扉に手をかけた。

 一方、リネはなぜかにこにこと笑って、人通りの多い市街地を歩いていた。木組みの家々を見回しながら舞うような足取りで進む。
「何しよっかなー。情報屋さん探しは一人じゃ大変だし」
 嬉しそうに呟いたリネは、そこで一度足を止める。どこからか香ばしい匂いが漂ってくるのを嗅ぎ取った彼女は、瞳を輝かせた。
「そーだ! せっかくだから、おいしいゴハンが食べられるお店を探しておこうかな!」
 自分で口にした言葉に対し、少女は何度も「それがいい」とばかりにうなずいた。今後の方針が決まったところで、意気揚々と歩きはじめる。体の動きに合わせて水色の髪がふわふわ揺れるのを、一部の通行人が物珍しげに振り返る。だがリネは気にしない。というより、すっかり慣れていることなので、どうでもよかったのだ。
 なので、そんな自分を一人の少年がじっと見ていたことにも、気付かなかったのである。
「すみませーん。ご飯がおいしいお店を知りませんかー」
 リネはさっそく聞き込みを開始した。だが、無視する人や彼女の容姿にぎょっとしてそそくさと逃げてしまう人がほとんどだった。運よく話が聞けたとしても、人々の口から出てくるのはなぜか高級料理店の名前ばかり。
 一度宿屋の方向に引き返したリネは、芳しくない状況にため息をつく。
「うまくいかなかったなあ……。ソラのところに戻ろうかな」
 すっかりしおれてしまった少女は、とぼとぼと来た道を戻っていく。だがその途中で、声をかけられた。
「もしもーし。そこのお嬢ちゃん」
 快活な声だった。リネが目を丸くして振り返ると、近くの商店の前で一人の少年が手を振っていた。すっきりとした亜麻色の短髪。その下で茶色の双眸をくりくりさせる彼は、リネが自分を認めたと分かると、愛想よく笑って歩いてくる。
「なんかよく分かんないけど、ご飯がおいしい店を探しているんでしょ?」
「うん」
 微笑んで問いかけてくる少年に、少女は首をかしげながらも肯定した。すると彼は、少し考え込んでから、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「僕、いいところ知ってるからさ。よければ案内してあげようか?」
「本当!?」
 思いもよらぬ申し出に、リネは驚いた。柔和な態度の少年に、思わず感激のこもった眼差しを向ける。同時に彼の言葉を胸中で反芻したのだが、そのときにふとひらめいたことがある。
「この辺りに詳しい……ってことは、幻獣がいるっていう森のことも、知ってるの?」
 あどけない少女の問いかけに、少年は驚いたようだった。だが穏やかな目のまま訊いてくる。
「知ってるよ。君はそのことも知りたいの?」
 リネは反射的にうなずいていた。ここでもっとも知りたいことが知れるのであれば、それを逃す理由はない。だが意気込む少女を見て、少年はくつくつと笑った。
「そうか。でも森の件については情報料をいただくよ。重要な情報だからね」
「じょうほうりょう?」
「つまり、お金さ」
 そう言って彼は、右の親指と人差し指で丸を作ってリネに示す。彼女は低くうめくと、ふてくされたような顔になった。
「私はお金なんて持ってないよ」
 すると、途端に少年の表情が残念そうなものになる。ここでそれを言ってはまずかった、と遅まきながら気付いたリネは慌てて「でも」と言いかけた。が、そのとき、彼女の元に影が差す。
「こんなところにいたのか、リネ」
 呆れたような声を聞き、リネは弾かれたように振り返った。胡乱げな表情をした少年が彼女を見下ろしている。彼は自らの相棒の視線に気づくと、ため息をついた。
「何やってんだ、おまえ」
「えと、一足先に情報収集をと……」
「……おまえだから得られる情報は確かにあるが、だからといってなんの駆け引きもしないでいると、そのうち身ぐるみはがされるぞ」
 あまり突っ走るんじゃない、と言外に釘を刺された気がして、リネはしょんぼりとうなだれた。ソラはそんな彼女の頭を軽く撫でてから、前を見る。そして「ん?」と素っ頓狂な声を上げた。
 リネが顔を上げてみると、対面の少年も大きく目を見開いている。やがて彼は、驚愕の表情で叫んだ。
「ソラ! なんで君がこんな所に!?」
 あまりの大声に、通行人が彼らの方を振り返る。リネが慌てて身振り手振りで詫びを入れた。そしてその横で、ソラが不機嫌な様子で肩をすくめる。
「おまえこそ、なに人の相棒をナンパしてるんだ? タスク」
「ナンパじゃない! 善意の声がけ!!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ合う二人を見て、リネは首を傾けた。


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