第四話 誇り高き者たち1

 森は清浄な空気に包まれている。しっとりとした緑が、一行の間に見えないヴェールを落としているようであった。
「そもそも人間と幻獣の仲が悪い理由って、なんだろうね?」
 しばらくは淡々と道案内をしていたタスクが、いきなりそんなことを言い出した。リネはというと、横で首をかしげている。自分に説明を求める眼差しを向けられたものだから、ソラは苦い顔で首を横に振った。
「俺だってそんな話は聞かされてない。あの頃は小さかったからな、まだ」
「そうか。残念だなあ」
 タスクがなぜか笑顔で肩をすくめている。それを見たソラはふと、母の声を思い出した。
「ああでも……過去の大戦で人間と幻獣が激しく争った、とか言ってたかもな。寝る前の読み聞かせ風に」
「そうなんだー」
「君の家の寝物語は、ずいぶんヘビーなんだね」
楽しそうに身を乗り出すリネと、困ったように顔をしかめるタスクの姿は対照的に映り、ソラの苦笑を誘う。騒ぎ合う三人の間を、葉ずれの音がすりぬけた。
 幻獣種族の里があるとされる森に入ってからずいぶん経つが、今はただの穏やかな森が続いているのみである。時折、鳥が木に留まっているのを見かけたり、リスが素早く地面を動き回っているのに気付いたりする。
「本当に、ここに幻獣がいるのかな?」
 辺りを見回したリネが、ぽつりとそう呟くほどに変化が無い。ソラもこの噂を疑りはじめていたが、彼らの心情をよそに、タスクはどこか楽しげである。
「多分、もうそろそろ見えてくるよ」
 以前に訪れたことがあるようで、弾んだ声でそう言うのだ。
――彼の予言のような言葉は、はたして現実となった。湿った土に変化があると、一番に気付いたのはソラである。彼は思わず瞠目した。
「これって……」
「ああ!」
 リネも気付いたのか、素っ頓狂なきょう声を上げている。
 そこには、足跡があった。とても大きな足跡だ。狼を思わせるものや鳥に似た物など種類はさまざまだが、いずれも一般的な鳥獣とは形や大きさが違いすぎる。
「ソラ、どうだい?」
 タスクはさらりと、ソラにそう問いかけた。別段緊張した様子もない友人に呆れながら、彼は屈みこんで足跡の近くの土を指で適当にすくう。少し重くて冷たいそれは、たちまち指先からこぼれていく。うー、と喉の奥から自然にうなり声が漏れた。
「確かに、形状からして変わってるけど、見た目だけじゃなんとも言えないな……」
「うーんだめか。ソラなら見わけがつくかもと思ったんだけど」
 腕組みをして言うタスクの声音に落胆の響はない。やれやれ、と思いながら、ソラは皮肉で返すべく口を開いた。
 が、そのとき。唐突に頭の中で何かが閃いた。ソラは反射的に身を竦ませる。新鮮なようで、懐かしい。そんな感覚が全身を駆け巡る。
「どうしたの?」
 リネが、そっと問いかけてきた。ソラは息を吸い込むと、手についた土を払って立ち上がる。
「この土から、母さんと少し似た力を感じた」
「え、それって……!」
 声を上げている少女を一瞥した後、ソラはぽかんとしているタスクを見て、にやりと笑った。
「これは幻獣種族の足跡だ。間違いない」
 不敵な雰囲気を漂わせる少年の宣言に、二人はふっつりと沈黙した。だが、やがてタスクが「すごいや」とうめくように言って、頭をかく。
「まさか、幻獣種族の魔力の残滓から判断するとはね。想定外だよ」
「……俺にそんな力があるとはなあ」
 タスクはタスクで驚いていたが、ソラは彼の言葉に驚いていた。自らの力に対する自覚というのは、ソラにとってそれほど乏しいものなのである。リネが尊敬のまなざしで見つめてきても、ちょっとした悩みの種にしかならない。
 それから先、幻獣種族にまつわる話をしながら、森の中を徹底的に見て回った。むろん、彼らの里への入口を見つけ出すためである。だが、土の気配以上の手掛かりは何もなく、目的に届かない。ついにはリネが、湿った土の上に座りこんでしまった。
「だめだあ〜。全然見つからないよ〜」
 木々を仰いで疲れ切った顔で叫ぶ姿は、駄々をこねる子供のようでありながら、それよりはずいぶんと落ち着いている。
「服が汚れるぞ、リネ」
「分かってるもん!」
 だが、ふくれっ面でそっぽを向かれては、その認識も覆るというものである。ソラは頭を押さえてため息をついた。――その直後、タスクの悲鳴がこだまする。
「な、なんだこりゃあっ!?」
 普段からあまりにもかけ離れている声を聞き、ソラとリネはそれぞれに首をかしげた。ソラは、仕方なく、といった様子で立ち上がるリネの手を引いて、彼の方へと向かった。唖然とするタスクの視線の先を追って、二人もまたぎょっとした。ひっくり返りそうになるほどである。
「これ、どういうこと……?」
 木が、黒ずんでいた。そこだけ薄暗いとか、一面枯れ木とか、そういう話ではない。木の葉とそれに近い枝と幹が、本当に黒いのだ。まるで炭でも吹きかけたかのように。
「何が起こってるんだよ、これ」
「僕に訊かないでくれ。こんなの、見たことも聞いたこともない」
 ソラがついつい疑問を口にすると、隣でタスクが心底うんざりしたとでもいうように呟いた。むろん、ソラとてそのようなことは理解している。だが、答えられる者が一人もいないからこそ、疑問が口をついて出てきたのだった。
 三人はその後しばらく木の前で呆けていた。だが、ソラはそのうち、近づいてくる気配に気づいて我に返る。
「……なんか来たな」
「あっ! 見てよ。多分、あれだよ」
 リネが木の方を指さし、どもりながら言う。理由はすぐに分かった。ちょうど、木陰から数頭の鹿が姿を現したのだ。鹿は、正常ではなかった。ひどく殺気立っている時点で十分に異常事態だが、そういう話ではない、とても嫌な感じがするのだ。しかも、ひどく覚えのある感じ。
「またかよ」
 ソラはうめいて頭を抱える。横では、タスクが驚いていた。
「これはもしかして、巷で話題の魔獣ってやつ?」
「人気商品みたいに言うなよ。気がそがれる」
 タスクを見てソラは呆れた。彼の物言いもなかなかのものだが、何よりも瞳に恐れが無い。それどころか、好奇心のおかげできらきらと輝いているのだ。危機感ゼロの友人の態度に、ソラは続けて肩を落とした。
 そんなやり取りをしている間にも、木々の隙間から続々と魔獣が姿を現す。尋常ではない悪意を放つ彼らを見て、ソラはおもむろに銃を抜いた。横では、リネが棒手裏剣を構えている。
 戦意の火花が、空隙に爆ぜる。
 刹那、魔獣たちは一斉に飛びかかってきた。ソラはためらいなく引き金を引いて、そのうちの何頭かを撃った。彼らは断末魔の叫びを上げながら倒れ伏し、やがて、肉体から黒いものを噴き出した。うわ、という声がどこからか漏れる。
「すごいねー。二人とも頑張れー」
「いらいらするから黙ってろ!」
 やる気のない声援を受けながら、少年は鹿の脚を撃った。黒い飛沫が散っていく。鹿は、とてもそれとは思えないような、低い声を上げた。その左右では、狼や蛇が棒手裏剣の一撃を受け、事切れていた。だが、それでも絶え間なく『彼ら』は出てくる。
「ああもう! なんでこんなところにまで魔獣が潜んでるんだよ!」
「ここにもまじない師がいるのかな?」
 嫌になったソラがつい叫ぶと、リネが力いっぱい武器を投げつけながら呟く。相棒の少女から提示された可能性は、ソラも実際に考えていたものだった。そして、出来るならば打ち消したい憶測でもあった。
 また、まじない師と戦うのか。
 二人の間を駆け巡った想像は、しかし後ろからの言葉に否定される。
「それはないよ。まじない師がいるとしいたら、幻獣種族が、それを許すはずがないからね。彼らは仲が悪いんだ」
「まじか。じゃあ、魔獣がいるのはなんでだよ」
「さあ。それは僕にもよく分からない。誰かが、彼らの気付かないところで細工でもしたんじゃない?」
 タスクは、やはりどこか他人事の風情で言った。だが決してあり得なくはない話に、ソラは苦虫を噛み潰したような顔になる。それから、足元を見下ろした。脚を撃たれた鹿の魔獣が地面でもがいている。少年は鹿の眉間をほとんどためらいなく撃ち抜いた。鹿は一瞬大きく震え、動かなくなる。ソラはほっと息を吐いて、次の弾を装填しようとした。
――そのとき、巨大な気配が森を揺らした。
 ソラは、弾を詰めて手を止める。直後、魔獣たちが震えだした。
「ん?」
「どうしたんだろう」
 リネとタスクが首をかしげる。二人は気付いていないのだろう。ものすごい速さでこちらへ向かってくる、恐ろしいほど強大な力の塊に。
 しかもソラは、この力に覚えがあった。
 彼は険しい顔になると、無言で銃をしまった。もはや、この戦いをする意味がないからだ。
「ソ、ソラ!? どうしたの?」
「伏せておけ。でかいの来るから」
 細められた少年の瞳は、空色に変わっている。
 力の気配は分からずとも、彼の様子から尋常ではない事態を察したのだろう。リネとタスクは大人しく従った。魔獣たちは震えるばかりで、攻撃してくる気配はない。ソラは黙って腰を落とした。
 刹那、三人の頭上を太い光線が通り過ぎる。それは魔獣の群れを一直線に貫いた。射程にいたものは一瞬で消し炭になり、生き残ったものは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「な、ななな何!?」
「こんなのは序の口だよ。殲滅はこれからだ」
「……ソラが『こんなもの』張ってる時点で、嫌な予感しかしないよ」
 会話する三人の周囲には、半透明の膜が張り巡らされていた。ソラが張った防壁である。
 ふいに、茂みが揺れた。大小さまざまな影が素早く飛び出してくるが、それはいずれも獣のものである。彼らは、鋭い目を逃げ去るものたちに向けると、容赦のない攻撃を開始した。
 火球と氷塊が飛び交い、光線が標的を薙ぎ払う。その都度、地面を揺らす程の轟音が響いた。攻撃の多くはソラたちのすぐ横を焼いたが、三人に当たる前に、半透明の膜が攻撃のすべてを弾いていた。
「これがなかったら死んでたねー……」
 無慈悲な破壊の嵐の中に、リネの乾いた呟きが放られた。  やがて、周囲を濃い黒煙が覆い尽くす頃になると、破壊の嵐は止んだようだった。視界は間もなく開けるが、そこには一頭の魔獣も残ってはいなかった。ただ――奇妙なことに、あれだけの殲滅が展開されたにもかかわらず、森そのものに傷がまったくついていない。
 ソラは自分の予想が外れていないことを確認すると、渋面のまま、手ぶりで膜を消した。それを合図に、タスクが大きく息を吐く。
「どうにか生きのびたー」
「すごかったね」
 肩を落とす少年に、少女が笑顔で同意した。しかし、安穏とした会話に、ソラが珍しく冷淡な態度で水を差す。
「まだだ。気を抜くと今度こそ殺される」
「――は?」
 反問の二重奏。それに答えたのは、少年ではなかった。
『貴様ら!』
 すぐそばで響く怒号。タスクとリネがぎょっとして飛びあがる一方、ソラは冷静に自分たちの周囲を見渡し、嘆息する。
 少年少女を取り囲んでいるのは、獣だった。狼や鷲、鹿など、面白いほど様々なものがいるのだが、彼らは一様にすさまじい、そして奇妙な気配を纏っている。
「まさか……幻獣種族?」
 絞り出すようなタスクの声に、ソラは答えなかった。答える必要性を感じなかった。
 獣たちは視線を交差させた。そののち、狼――否、"牙族(がぞく)"のものが、厳しい顔で前へ出た。
『あの禍々しい者たちを呼び寄せたのは、貴様らか?』
「――はい?」
 思いもよらぬ問いかけに、三人はそろって首をかしげるはめになった。


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