リネは、ソラほど経験が豊富ではない。それは人生そのものを統合した数の差でもいえるが、旅の経験という部分にもあてはまる。

 彼女はもともととある宗教国家にすむ普通の少女だった。それがあるときソラに出会い、きっかけをつかんで彼と共に旅に出た。そのはずなのだ。だが、いつからかリネ自身がおのれのこの記憶を訝り始めていた。

「えー……っと、なんだっけ? 保存食は買ったから、あとは鶏肉? でも鶏肉っていくらするんだろう」

 相棒から渡された薄っぺらな一枚の紙切れをながめながら、リネはとある町の朝市の中をふらついていた。この町の朝市に来る人間のほとんどは地元民であるが、辺りを見回してみるとリネのような旅人らしき格好の人も見かけることがある。

 まだ早朝だというのに、露店が軒を連ねる町の中は人でごった返していた。そんななか少女は、人混みの中でもひときわ目立つ水色の髪を振りながら肉屋を探す。早くしないと売り切れてしまう可能性があるので、大変だった。

「えーっと、えーっと……ふぎゃっ!」

 夢中になって探していたリネは、後ろから人に押された。そのままつんのめって、倒れそうになる。のちに待ちうける結末を想像してぞっとした彼女は慌てて体勢を立て直すと、一度人混みを抜けだした。

 人の波を横目に見る場所に来た彼女は、張り詰めた朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。

「はーああ。朝市で人に押しつぶされて圧死とか、シャレにならないからなあ」

 近くにあった、青い塗装がはがれかけたふたつきのゴミ箱の上に腰を下ろしたリネは、そんなことを言う。四角いゴミ箱からは金属の冷気がじんわりと伝わってきた。

 それを感じつつ『作戦』について思いをめぐらせていたリネはしかし、目の前を一陣の風が吹き抜けたように思い、閉じていた目を開いた。すると――

「あら。お久しぶりね」

 目の前には、銀色の少女がいた。銀の長髪をなびかせ、髪と同じ色の気がつよそうな瞳をらんらんと光らせながら、どこか愉快そうに水色の少女を見据えてくるその姿は、背格好からは想像もつかないほど大人びている。

 そしてそんな少女に「お久しぶり」と言われたリネは、困惑した。

「え? あれ? ……どなた、ですか」

 リネが本気でそう言うと、少女は一瞬きょとんとしたような表情で見つめ返してきた。しかし、すぐにからからと笑う。

「忘れたの? まあ、仕方ないわよねえ。最後に会ったのはずいぶん前のことだから。今のあなたにとっては、ね」

 はあ? と言いながら首をかしげてしまった。

 わけのわからないことを言ってのけた少女はしかし、それを冗談と言うこともなく、人混みの中を指さした。

「まあいいわ。どうせまた、思い出すんでしょう。その時に会いましょう。――ちなみに、肉屋はあっちね」

 一気に言いきった少女は、くるりと向きを変えた。

「あ、まって」

 それを見たリネが思わず制止の声を上げるも、その次の瞬間に、少女は(しろがね)の風となってその場から消え失せていた。あとには、何も残っていなかった。強いていうなら、不可視の力の残りかすをわずかに感じられるだけであった。

「……何、今の」

 呟いたリネは、しかしながら少女の言葉に従って、すぐに人混みの中へ飛び込んでいった。記憶の奥底を刺激した二人の少女のことは、頭の隅においやった。

 

 

「あーあ、おかしかった」

 とある森の奥にそびえ立つ、高い塔。その入口に(しろがね)の風が吹き、少女が現れる。彼女は草地に降り立つと、髪を振って顔をしかめた。

「本当になにもかも忘れているとはね。ただの記憶喪失なら、虫が良すぎるってののしるところだけど」

 言いながら、彼女は優雅に一歩を踏み出す。華奢な身体の周囲で、力――『魔力』が渦を巻く。

「そうでなく、自らその道を選んだのだとすれば、称賛されてもいいのかもしれない」

 銀色の瞳は鋭く光り、異なる二人の人物を、少女の眼前に映し出した。

「だけど、出会った相手が悪かったわね、リネ。『風語り』ならいずれ、あなたの名を知ることになる。そうなればあなたは、またすべてを取り戻してしまうのよ」

 呟きは、誰にも聞かれない。ただ森の奥にこだまするだけ。しかし、確かな重みをかねそなえた言葉の列であったことは言うまでもない。

「ま――そうなったときはまた、楽しもうじゃないのよ」

 最後に軽くしめくくり、永き時を生きる少女は自らの住まいである塔へと戻っていった。

 彼女とリネが再会を果たすのは、それからしばらく後のことである。

 

 

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しろがねの風